六月飛霜

HongKong その日気になったことをメモ

hk2015

 

 

 

・2015年新しい年を迎えてからの香港の話題がりえさんのブログ

ジャパナビりえ的香港TV道 - livedoor Blog(ブログ)でまとめられていました。

ジャパナビりえ的香港TV道:2015新年, 叮噹走了 - livedoor Blog(ブログ)

新年、カウントダウン雨傘、叱咤音楽賞、ドラえもん、獅子山精神再び、そして雨傘運動2015.

2015/01/08 19:50

 

カウントダウンの雨傘や、デニス・ホーやアンソニー・ウォン(歌手のほう)、そしてディニー姐も参加の「撐起雨傘」は 2014叱吒樂壇我最喜愛的歌曲大獎(2014年度の私の最も好きな曲)を見事に受賞し、舞台上で合唱していました。

叱咤は香港の商業電台主催の音楽賞で、毎年投票により10大歌曲が選ばれその中から5選、そして最終的に「2014年もっとも愛された歌曲」や「最も今年愛された歌手」などが選ばれるシステム。

(なんで1/1にやるのか?といえば、あちらにしてみればまだチャイニーズニューイヤー前の年末だから。)

個人的には誰が選ばれるか?よりも、時にシニカルなジョークでその年の話なんかをする叱咤の顔といえるジャン・ラム(林海峰)を見るために毎年気にしていた音楽賞でもあったのですが

今年は、この歌を選んだ多くの人の願いを勇敢に受けたと思われる叱咤音楽賞そのものに、なんだかもうありがとうという気持ちと

舞台上でかなり緊張している様子ながら、歌って話して、決心を持っていたのだろうと思う、最後には少し鼻を赤くしていたデニスに心から、おめでとう、と思う叱咤になりました。

 

ドラえもんの香港版吹き替え声優さんを務めていられた方が2日亡くなられたニュースには、私は林保全さんの声で育ったわけではないけれど、でもこれが大山のぶよさんがもし交代ということをせずに続けられていたら…と思うと

香港の老いも若きも多くの人が非常に大きな悲しみを持って、ドラえもんそのものが去ってしまったかのようにさびしく思っている、という多くの報道に、共感できる気がしました。

お別れは本当にさびしいことですが、これだけ長い間香港の子供達にも夢を与え続けてきた方だから、きっと子供達の多くの感謝と愛情に包まれて天国に行かれたのではないかなと。ご冥福をお祈りしています。

 

そして、一旦は一部は無条件で解放しておきながら、再度出頭せよという命令が警察から結局30人程度の方に、きているようだということなど

詳しくは上記りえさんのブログでご覧いただければと思います。

 

 

 

 

・先日非常に気になったというか、なんとも引っかかった記事に出会いました。

 

「外国」を理解することの難しさ~雨傘革命と台湾地方選挙を実例に - ジセダイ総研 | ジセダイ

色々な面があるのは確かだけれど”ダーティな手段”/というのは現地の報道で「警察官側がこういうもので攻撃されたと言っている」けれど、現物はどこでも誰も見たことがない武器の類の話なのだろうか?

2015/01/09 16:55

 

 

あくまで日本からこの運動を見ていた私では見えていないことは当然あると思いますが、それでもどうしても引っかかる部分があり

あまりに色々何だかう~ん…と考えて煮詰まってしまった挙句、りえさんに問い合わせをしてしまったのですが

突然の問い合わせにも関わらず丁寧にTwitterにて返信いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても迅速に丁寧に返信をいただいて、本当にありがとうございました。

 

 

りえさんの書かれていることと重複する部分もあるのですが、私が元の記事を読んでまず、ん?と気になったことは

日本の人々は、なんだかオシャレで理性的な雨傘革命が行われていると思っているかもしれないが

 

そもそも、見ているものが違う可能性、というのはあるとは思うのですが(私は日本でも地方在住者なので番組の放送なども首都圏とは違う場合も多多あります。)

私が日本で日本の報道を見ていた印象として感じていたのは、まず主なメディアの報道そのものの少なさ、遅さ、でした。

特集などは別として、普通にニュースなどを見ていて目にすることは本当に少なく思えたし、見かけた中での印象でいえば、香港でこういうことがあった、と素っ気なく思えたほど、淡々とした伝え方であったように思いましたし

そんな報道の中で、雨傘運動参加者のほうに特別好意的と言えるようなものというのはそれほど見かけなかったように思っていました。

とてもこれだけじゃ全然分る分らない以前の話だなぁ…ということで現地の報道や

またりえさんのTwitterをはじめとして、現地居住の方の情報などで追いかけさせてもらっていたのですが

 

 

ただネット上のものも含めて、となると、そう言われてみればたしかにそういう風にとらえることも出来るかもしれない、そう思える伝え方のメディアもあったかなぁという気もします。例えばすごくカッコイイ写真をズラリと並べた特集であったりとか。

 

それだけをもって判断しないほうがいい、ということはその通りだと思いますが

それがこの記事で言われている、報道している側の目や考え方という「フィルターのかかった、加工された報道」の一つであるとしたら、けれどそれは他のどのような報道もそうだと言えるし

だから現地の報道をふくめ、様々なものを見て考える必要がある、ということはとてもよくわかるのだけれど

 

私がこの記事に非常に引っかかりを覚えたのは、語学にも現地のことにも精通し、事情通であるだろうと思われる方が、このようにメディアに対するリテラシーを語る記事の中で、「日本では報じられていないけれど」という形でこのような記事を書けば、即ちここで筆者の提供している情報のみが真実であるかのように受け取られかねないのではないか?

という気がしたからでした。

 

メディアを読み解くリテラシーについても語っている記事の中で、情報の中の一つである『平和的抗議活動からはほど遠い武器』というのはそのままに伝えていながら

現地のメディアで報道されていた他のこと、警察側の暴力行為等については一切書かれていない、というのは

筆者の言うミスリードそのもののように思えます。

 

 

 また

 

香港と台湾の話を「香港の民と台湾の民は中国の強権にNoを突きつけた」と解釈する

 

のはそれこそ受け止める側の問題であり 

 

「自国民にとって理解しやすく、興味のある切り口で報じる」という、報道の主体が経済活動を行っているがゆえに避けられないバイアスに

 

よってそのように誤解される報道がなされているとしたら、それこそ彼らには何の関係もない、こちら側の問題であって、

それと、筆者の目から見た運動の姿、という話とが並べて書かれているので、なんだか焦点のぼやけたような、主旨がどこにあるのか迷うような記事になっているのかなとも思いましたが

 

たとえばネット上でのメディアの記事などに、この人は誰が何をしているかということよりも、中国に対抗していると思えることが重要なんだろうな、と

香港や台湾に興味があったり知りたいということではなさそうに思われるコメントというのは私自身も見かけたことがありました。

 

考え方は人それぞれですが、台湾と香港ではそもそもの成り立ちから、とても一くくりに出来るようなものではないと思うし、またそれぞれの関係性も一口に言えるものではないほど複雑で、現地に住んでいるわけでもない外国人である私がどうこう言えることでもないと思いますが

以前何かの台湾関連の書籍で

”たとえば台湾と大陸は元夫婦のようなもの、香港は親子のようなもの”という例えを読んだ覚えがあります。

だからなぜ香港は返還時に何も言わなかったのか?と問うのは酷だと。

香港という子供をイギリスに渡したくはなかったけれど仕方なく養子に出した、その子供が立派に育ち返してもらえることになった

すべては親同士の争いから始まりこの和解についてもすべて子供の頭の上で行われ、かつて無理にとりあげられたものが生まれた親の元に戻ることなのだから、逆らうことなど出来ないし、逆らうことではないと考えるのも仕方がないのだと。

 

その考えで例えて言うのであれば

ただしその後親元に戻ったものの、自分達の暮らす狭いマンションに次々と親戚が訪れては、育ってきた文化や習慣、マナーなどの違いを一切考慮することなく自宅で勝手邦題に振舞われ

自分達の住んでいたマンションも、親戚達の投機の対象となることでどんどん値段が高騰し続け、ついに自分たちでは住むことも出来ない値段となり

自分達の生活必需品まで買い占めては持ち帰り商売にしようとするものだから、自分達の子供が生まれて買うミルクもオムツも不足し…

そんな状態になって不満を抱くようになるのもまた当たり前のことだと私は思います。

 

確かに香港のネット界隈ではそのことなどから攻撃的な発言なども見かけることもあるけれど、

少なくとも運動の中心人物たちが考え、行ったことは、

この問題は私達の暮らす家の家長がしっかりときちんとした対策を行い解決するべき問題である。

しかし現在の家長にはその能力が足りない、だから新しい選挙では少なくとも自分達の意思で候補者の中から、そういう問題に対応出来るように家長を選びたい。

親や親戚の側だけが認める候補者しかいない中から選ぶのではなく、私の家族の中からも家長に立候補が出来るようにして欲しい。

家の問題に例えればこういうことではないかと。

 

親が育ての親と交わした約束の一つであった、子供達の自主性を尊重するという約束を自分達の都合のよい解釈で捻じ曲げてはいけないし、今の家長は動かないし聴く耳も持たないから、元の約束をし、今回の家長を選ぶ選挙の方法を決定した親元に直談判もしに行こうともしたけれど

運動のリーダー達が再三言っているように、親であることを認めないとか、独立というようなことを目指しているわけではまったくない、

運動の規模が大きくなり参加人数も増えれば、様々な意見も表れてきますが、基本的には、中国そのものにノーと言っているということではないと、私個人は考えています。

 

親のやり方にすべて従うわけにはいかない、自分達の家と家族は自分達で守りたい、ただ親のやり方をすべて押し付けられることを受け入れるには、あまりにも僕達は違う文化の中で既に育てしまったし、自分達の文化、気風というものにも誇りを持っているのだから。

このように立派に育った子供たちの自主性をそちら側も認め、受け入れることで共存をはかっていきましょう、というのが一国二制度を50年不変にすると約束した親への提案であり求めていることだったのではないかと。

だからやはりこの運動は、オシャレかどうかは知りませんが、理性的なものであり

自主性を尊重し一人一人が政治に対する意思を持った人々による運動であるから、様々な考えもあり一枚岩とは必ずしもいかないけれど、一部の問題を全ての問題であるかのようにとらえ、全て間違った悪いことだという風には私もやはり思えません。

 

 

 

だからこれはやはりこの方の意見として読みましたが

 

報じられなかった経済問題、ダーティな手段

 

と見出しに大きく書かれているのに、この記事中の情報が、現地のどのメディアによってどのように報じられていたのか、どこからの情報であるのか?ということ

日本のメディアの報道とどこがどう違うのか、比較する対象であるはずの情報元などがきちんと示されていない為に、

筆者の言うことを全面的に信頼するとしたら「事情をよく知るものや、現地の人なら当然知っている真実」であるかのようにも思えるのではないか、と

そこがとても引っかかっていたんだなぁ、と

自分が「ん?」と引っかかりを覚えたものの正体が、りえさんからの返信を読ませていただいているうちに理解できたような気がしましたし

 

 

「香港雨傘革命と言ってもなかなか一言ではまとめられないんですよ。参加者にもいろんな人がいるんです」というのは香港の人々にとっては常識

 

これは以前から多くの方が発言していることでもあり、あれだけ大規模な運動となれば様々な人々がそれぞれの意思をもって参加しているのだから、けして一面的なものではなく、一つの面が全てではない、というのは本当にその通りだと思うのですが

この記事は筆者の見解であり、異を唱えるものではないけれど、この記事もまたこの筆者の方から見た、この運動の持つ多くの顔のうちの一つに過ぎないのではないかということと、

この記事を読んだ人もそれぞれのリテラシーでもってこの記事も判断してほしい、というこの記事に対して思うこともまとめることが出来ました。

 

りえさん、本当にお忙しい中お手間をおかけしてすみませんでした。返信をしていただいたこと、それから了解しましたと送った返事にもすぐに反応してくださったこと、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 ・そしてそのことを考えているうちに香港では物騒な事件が起こっていたようです。

 

 デイリーアップルの報道ですが13日未明に、前社主であったジミー・ライ氏の自宅や

デイリーアップル社にほぼ同時刻に火炎瓶のようなものが投げ込まれたとのこと。


動新聞 | 最Hit | 20150113 | 兩分鐘內 3燃燒彈襲蘋果及黎智英寓所

 

 

 ズッキーニ@香港 さん Twitter

ズッキーニ@香港 (@Zuki_Zucchini) | Twitter より

 

 

 

とのことですが、理由や目的はすぐ特定できるものではないとはいえ、はっきりとした事件であるのだから、当然ですがきちんとした捜査と発表が行われることを待つしかありませんが、新聞の盗難事件なども同時に発生しているのだから、何らかの報道への圧力ということもやはり考えずにはいられません。

 

本当に今年も香港が平安であることを願って、引き続き見ていこうと思っています。